アソル・フガード 著
金原瑞人、中田香 訳
定価:1,575円
仕様:四六判 並製 304ページ
ジャンル:海外文芸

著者、訳者の情報を見る>>
  好評発売中!
 

[ストーリー]
アパルトヘイト下の南アフリカ。ごろつき、ギャングスタを意味するツォツィと呼ばれている少年は、仲間と共に盗みや殺しを繰り返していた。記憶のない彼にとって、生きているという実感が持てるのは、ただ人を殺すときのみ。そんな彼がある日、見知らぬ女性に赤ん坊を押し付けられる。強く心を動かされ、ぎこちなく世話を始めると、その日からすべてが変わった‥‥。
世界的な劇作家、アソル・フガードによる、生きることの根源的な意味を問う、不朽の感動作! 『ツォツィ』はフガードが書いた唯一の小説。60年代に書かれ、80年に出版され、2005年に映画化された。 映画はアカデミー賞外国語映画賞を始め、数々の賞を受賞。 各地で観客の涙を誘っている。


□悲しみに押しつぶされないためには、逃げ出し、記憶を葬り去るしかなかった。ストリートで生き延びるためには、人間としての彩りを捨て去るしかなかった。給料日である金曜日、殺されずに家まで帰ることができれば運がいい。いつ自分が、もしくは愛する人間が消えてもおかしくない、そんな町タウンシップで、略奪で生計を立てるツォツィは子どもの頃の記憶がなく、家族も名前も年齢すらも覚えていない。過去を持たない、それゆえツォツィは瞬間だけがひたすら続く人生を感情ももたず行きていくだけだった。 そのツォツィが行きた赤ん坊を手にしてから、人間として生きる意味を、人間としての彩りをつかむまでの3日間が、同じく絶望を心に持つ登場人物たちーこの国の痛みの子??との束の間だが強烈な出会いを通して書かれている。  自分に何が起きたのか、自分はどう変わっていくのか、この変化の意味はなんなのか、ツォツィののっぴきならぬ自我の追求と、この国の持つ痛みに私はぐいぐい引き込まれた。けれど、いちばん印象に残ったのは、両膝下を失い 物乞いをして生計を立てるシャバララが自分の人生を肯定した場面だ。  この国の痛みの子でもある彼が、自分は死んだも同然だと何年も苦しみさまよった後に、“それてもオレは生きたいのだ”と人生を肯定する場面は圧巻で、これぞ文学!と心の中で叫んでしまった。     高橋由美子 女性
□本作品に描かれている、一瞬先の命の保障は赤ん坊にも大人にも、誰ひとりとしてないという過酷な状況には打ちのめされるような衝撃を受けました。読者は、世界中にまだ数多くいる“ツォツィ”に幸福が訪れることを切に願い、彼らのために自分には何かできるのかと自問し、なんらかの行動を起こしたいと感じずにはいられないのではないでしょうか。      吉川律子 40代 女性
□ツォツィが赤ん坊を手にしてから少しずつ、本人も意識しないままに変わっていく様子がとても印象的でした。ツォツィの子どもの時の様子や、ボストンの話も印象的だった。全編を通してやりきれない感じにさせられたが、ツォツィが赤ん坊を手に入れてからかわっていく様子は、わずかだけど、心が軽くなった。少年たちは何をしたいのか、どう生きたいのか、考えることはあるのだろうかと思った。とにかく、いろいろなことを考えさせられる話だった。いいようもない怒りや、悲しみがたくさんの本で、今の自分についても考えさせられることが多かった本だった。       ペンネーム:子羊 22歳 女性
□全く私が住む世界とは違うのに、読むごとに情景が頭の中に広がって痛々しくて、苦しくて、なんともいえない感じがしました。        ペンネーム:チェレ22歳 女性
□けして計画的でもなければ、自分の意思によるものでもなかった。偶然、見知らぬ女から赤ん坊を押し付けられたことによって何も知らなかった、何も知ろうとしなかった若者が、初めて自分の過去の記憶をたどり、生きることの意味や神について知りたいと願うようになる。こんなにも、人というのは短い期間に変わり得るものなのか……。好き好んで荒れていく人間はいない。自ら望んでそうなる者などいない、そうならざるを得なかったのだ。主人公の身におきた偶然は、そんな彼におとずれた神の救いに違いない。たからツォツィは赤ん坊を手放したくなかった。自分の魂を救ってくれたその存在を自らの手で守りたかったのだ。          ペンネームHK 34歳
□ 日本という、よく言えば“平和な国”においては感じることのできない出来事をこの本で経験したのかもしれない。荒んだ生活をしていたツォツィ、最初の暴力沙汰の日々の描写は読んでいて気持ちが悪くなるくらいであった。これも現実にあることだ。それが新しい命=赤ちゃんという存在に出会って、戸惑いながらもその子に接していく。それが彼をじょじょに変えていく。まっさらな命に接して何かが変わったのかもしれない。感想を書くだけであるが、ただ読んでいる「こちら側」の何もできない自分を恥じた。翻訳に関しては海外文学の翻訳の特徴(宿命?)なんでしょうか、なんだか固い感触を受けます。もちろん海外からの言葉を正しく訳すことは大事なのですが、いつもいつも、海外の翻訳本を敬遠するのはこの理由があります。          ペンネーム:sa 30歳 女性
□何かを成し遂げるために生きるのではなく、生きるために生きる。生き物にとっては基本的なルールであるのに、人間がそのことを理解し自分のルールとして受け入れるには、非常な困難を伴う。ツォツィにとってその困難を打ち砕いたものは、他者への共感であり、他の登場人物にとっては、死の実感だった。 自分自身が生きる意味は、自分自身にはなく、他者と死に存在する。また死をもたらす原因は、この小説の中では天災でも病でもなく他の人間にある。生とは、常に他者と共にもたらされるもの、なのかもしれない。ツォツィが取り戻す過去の記憶はみな、過去を共にした他者を通じて語られることからも、「他者」の重要性を感じた。 生きる意味を描いた小説は数あれど、生きるために生きることをここまで現実感を持って描いた小説は、他にないのではないだろうか。      女性
□人が生きていくということへの根源的な恐怖や喜びが重く響いてきた。物語の設定はアパルトヘイト政策下の南アフリカである。しかし、他人の心の痛みにも身体的な痛みにも無関心であったり、自分の人生にさえ無関心で無気力であったりするという状況は、残念ながら現在の日本でも十分にありうることだ。生きていくことは、うんざりするようなことの連続だ。それでも、ツォツィに命を狙われた脚のない物乞いが「生きたい」と命乞いをし、見知らぬ女から押しつけられた赤ん坊が全身から「生きたい」という望みを発し、それがツォツィにとっての生きるちからになったように、本書はきっと多くの人にとって生きる勇気となることだろう。    ペンネーム かふぇ
□この本には『生』が詰まっていた。人間の汚さ、醜さ、いやらしさ、美しさ、やさしさ、愛。そういったものがぐちゃ混ぜに入っていて、生きるとはこういうことなのかもしれない、と感じられた。こういった本は今まで読んでこなかっただけに、本に書かれた事実を知ることで驚きもあったが、読み終わった後、「読めてよかった」という思いも湧きあがった。 『変わることを恐れちゃいけない。よくあることさ』この言葉は、強く胸に響いた。                 ペンネーム:花男  19歳 男性
□最初読み慣れるまでは、物語の時間の流れがわかりづらく何度も読み返したりしました。慣れてくるとスラスラ読み進めることができました。今の私たちの生活からかけ離れた世界のできごとのようですが、生きるということを考えさせられました。守るものができると人は強くなれる。人の気持ちを考えるようになる。当たり前のことかもしれませんが、忘れていた気持ちを取り戻すことができました。この本に出合えたことに感謝します。ありがとうございました。             ペンネーム:ヒロコ 29歳 女性
□まず余談からだが、昨年ケープタウンに少し滞在していた。観光地であるが、昼間から多くの黒人は路上をうろついていた。ゴミの回収日には皆ゴミ箱をあさっていた。住人は何重もの鍵を開けて家に入る。夜はタクシーを使う。白人の多いケープタウンでさえこの状況だ。世界で最も危険と言われるヨハネスブルクは日本人の想像範囲を超えるだろう。『ツォツィ』最初は殺るか、殺られるか、日常がサバイバルに思えた。しかし偶然なるできごとからツォツィ、ディヴィッドは変化する。それは、生きる目的か何かをみつけたかもしれない。彼がこれまで行った行為は大罪ではあるが、彼がそれを認識したことに人生は学ぶべきことが多くあると感じずにはいられない。次回ワールドカップが南アで行われる予定だ。見栄え的にタウンシップは取り壊すらしいが、彼らはどうなるのだろう。せめて子どもたちが教育を受けられればいいのにと、思わずにはいられない。アパルトヘイトがなくなったとはいえ、この先格差が長く残っていくのは確かである。       ペンネーム:Seapoint 29歳 女性
□とにかく全体が暗く、やりきれなさが最後まで続いた。私自身母親であるため、特に赤ん坊が出てくると悲惨な感じが増した。ツォツィが過去を思い出すことは、良いことだったのかどうか・・・。 人間の心を取り戻した(思い出した)ことで、苦痛の方が大きかったのではないかと思うのだが。 何度か読み直して初めて良さがわかる本なのかも知れない。 この本の感想を書くには、まだまだ人生経験が足りないと感じた。                  ペンネーム:しのさん  44歳 女性
□私は国際NGOに属しているせいもあり、南アフリカのアパルトヘイトのことは人並みよりは知っているつもりでしたが、あまりに衝撃的な内容に驚きました。映画『city of god』も観ましたので、映像での衝撃が残ったままでの今回のツォツィのはなしは辛くも悲しくもあり、ページをめくるごとに感じたことのない気持ちで溢れていきました。今のこの環境にいて、彼らの生活は容易に想像できないけれど、「知る」という自分の行動が、少しでも意味があることだと信じて、この本に出会えたことに感謝します。                    ペンネーム kaznoco 25歳 女性
□素晴らしい本に会えました。最初は映画の方をさきに知りそして本を知って読んでみました。さすがアカデミー賞を受賞した作品だと思います。いつも考えていても実行できていないことが改めて実行してみようという気になりました。3回読みました。 
                          ペンネーム おおきなだるま 女性
□本を開くたび、読み進めていく程に、その場の情景が鮮明に浮かんできました。ツォツィ自ら衝撃的な過去を封じ込めていたはずの心が少しずつ変化していく様子が強く伝わります。戻らない過去、寄せてくる明日、どうしようもない今。改めて日本でも関心を集めている『生きる』ということを考えさせられました。        ペンネーム try  女性
□善であったはずの心に 悪が住みつかざるを得なくなった社会に身動きが取れないような息苦しさを覚えた。人の描写がしっかり成されていて読んでいて自然と映像になっていった。この映像が実際の映画ではどうリンクしていくのか確かめたくなった。 
                            ペンネーム まきまき  女性
□なんというのでしょうか?最終原稿ではなかったせいなのか内容がなのか、私にはすごく読みづらいものでした。まだこれから色々変わったのかもしれないので、よくわからないのですが。元々の原稿がこんな感じなのでしょうね。暴力、殺人などあまり読みたくない事柄が続き、どうしても先へ先へと読めないのです。辛くて悲しくて、南アフリカのアパルトヘイト政策のことを、教科書では習っていても、現実にどんなふうなのかはまったく知らないわけで、読むのに忍耐力が必要でした。辛いことや痛いこと、悲しいことは実際には経験したくないし、読むだけでも疑似体験してしまうから辛いことですね。でも、これを本当に体験している人たちがいるということ、戦争も本当に行われていること、目を背けてばかりはいられないのだろうなと思います。自分が子どもを産み母になり、考え方も変わったのかもしれません。ツォツィも変わろうとしていた。自分が誰であるか、何のために生まれてきて、何のために生きていくのか、今までは考えることさえしなかった、というかできなかった。そんなことを考えていたら、死んでしまう、生きていけない。その日その日を生きるのが精一杯。でも、赤ん坊の世話から何かを感じたのかな?無力な赤ん坊。泣くことしかできない赤ん坊。でも、今までのツォツィなら、「うるさい」と放り投げていたかもしれない。でも、そうしなかった。赤ん坊だけが原因ではなかったのだけど、ツォツィの中で何かが少しずつ変わり始めていたところに、きっかけとして赤ん坊が現れた。これから、どんなふうになるのか・・と思っていると・・・。ラストは・・・    ペンネーム: リトルクマ    47歳 女性
□一言で言うと読みにくい。こんなにわかりにくい本は久しぶりでした。あちこちに物語が飛び、劇作家の方が書いたからだろうか?とツォツィと格闘しながら思うことでした。北朝鮮から、脱北した方たちが、「生きていくためには盗むことは当たり前だった。」と話すのを聞いて、私たちの知りえない、想像できない世界が、この同じ世界中にあるんだなぁ、と思いましたが、まさしくこのツォツィの世界がそうです。ツォツィは、赤ちゃんのためのミルクを買いに行っているだけなのに、そこの商店一家は死をも覚悟する。何を理由かわからず、警察に連れて行かれる。周りの人には気づかれず、4人で用意周到に殺人をする。家に無事に帰り着くのは、神のみぞ知る。私たちの周りにたとえることもできるのかも知れないと思います。いじめを受けて、死んでいっても、確証、証拠がなくてはどうして死んでいったかわからないし。帰り道、生きて帰れるとはかぎらないし。本当に保護を受けないといけない人たちに保護を与えず、死を覚悟するしかない人たちがふえているというし。同じことをやっても、罰の不公平感が最近蔓延しているし。そのなかでも、赤ちゃんと巡り会って、気持ちが変化していくツォツィは、まだまだ純粋で、素直な心があったんだろうなぁとおもいました。世界中の人たちにツォツィの心の変化を持って貰えたら、もう少し、住みやすい憎みあわない世界が生まれてくるのではと思います。やはり、人は人のために生きるように生まれてきたんだなぁと最後廃屋に飛び込んで行ったツォツィを見て、つくづく感じました。最後に、映画が、公開されるというので、ぜひ見に行ってみたいと思いました。この本がどのような構成になって、映画になるのかがとても興味深いです。         ペンネーム:toma 41歳 女性
□「生きたい」この四文字におまえは辿り着いているのか。全編を通してこの問いを投げかけられているように感じました。どのエピソードも「勘弁してよ、ちょっとは手加減してよ」と思うこちらに一片の配慮もなくぎゅうぎゅう胸を締め付けてくるものばかりでした。列車の男が助かりますように、靴箱の女が殺されずに、あわよくばレイプされずにすみますように、物乞いの男が迫り来る追っ手から逃れられますように。……もうとっくに完成して、印刷までされていて、話の筋が変わるわけがないのに登場人物たちの無事を願わずにはいられませんでした。「祈る」という行為を人の心から巧妙に発生させる触媒のような物語だったと思います。お涙頂戴どころかアドレナリン頂戴といった情動の心臓部に殴り込みをかける話、あるいは構成を計算し尽くしたとにかく「うまい」小説、というのはよくありますが、このふたつを兼ねそなえた話はそうないと思います。「あぁ、くそ、やられた……」と思いました。
                         ペンネーム:krsm 20歳 女性
□「同情とは何か?あたりを照らす光みたいだ」魂を持つ人間すべての道。ツォツィの体験は不良(ツォツィ)のみが経験するものではない。目覚める瞬間を描いた物語だ。ツォツィが見つけたものは自分の過去だけではなく、暗闇から光へと進む自分の本性を見つける道。内面への道。ツォツィのように気づかないふりをして、物事の真髄、内省を避けて人生を歩んでいる現代人は多いのではないだろうか。  ペンネーム:佐藤美穂 41歳 女性
□「格差社会」という言葉をよく聞くようになった。日本では「格差」が広がりつつあると言われているが、「アパルトヘイト」という究極の格差社会を背景としたこの小説は、もしや日本もこうなるのでは…… という恐ろしさを感じた。赤ん坊に心を動かされたツォツィはまだいい。虐待など珍しくなくなってきた日本はある意味、もっと危険な社会になるのかもしれない……。金原瑞人さんの翻訳は「さすが」で、臨場感があり、視覚的イメージもかき立てられた。このイメージを大切にしたいので、映画は見たくないような気もする。
                         ペンネーム:Mihi 35歳 女性
□読み終えたあとに、じわじわと切なさがこみ上げてきて、涙がこぼれそうになりました。余計なものもなく、主人公のおかれた状況の厳しさや絶望や希望がまっすぐに切り込むようにこちらの気持ちに入り込んでくる気がします。最初の殺人のシーンは目を背けたくなるほど嫌な場面なのに、その後の展開が知りたくて一気に読んでしまいました。主人公が赤ん坊を見つけてから本当に自分が欲していたもの、自分が生きている意味について考え悩み、変わっていく様子は、まるでモノトーンの世界からじょじょに、そして最後は一気にカラーの世界へと変わっていくような感じがします。こういう子どもたちがこの時代にはたくさんいて同じような絶望的な生活をしていたのだと思うとやるせない気持ちになります。それでも誰もが生きようとする意思を持っていることに救いはあるのですが、それがあるだけに切なくて、心が痛くなってしまいました。読み終えたあともいついつまでも考えさせられてしまう作品だと思います。  ペンネーム:サクラ 女性 43歳
□映画を見ているかのように、ひとつひとつの場面が浮かんできた。時のながれる速さ、風の温かさが伝わってくるようだった。誰もがいつか覚えたような、言葉にはできない(しようとはしない)感情を、豊かな表現でつづっていた。自分とはまったく生活の基盤が違う場所でひろがっていく世界。次に何が起こるか予測ができなかった。自分が持っている悩みなんて、本当に小さなことなんだと思えた。  臼井春香 26歳 女性
□南アフリカで起こっていた、今でも世界のどこかで起こっているだろう、これかの日常を知らないことに衝撃を覚えた。自分からは離れた違う日常を通して問われる、人間とは、生きるとは、じぶんとは、という問いに正直戸惑っている。  ペンネーム:ws
□いきなり冒頭から始まる、冷酷非常な殺人。生活環境も、周りにいる人間も、日本で暮らす私とは何もかも違う中、それでも、人間も、人生も、そう悪いものではない、そう気づいていく主人公は、私と違うところなんてなかった。主人公が自分の過去を、そして未来を見つめるきっけとなった一人の赤ん坊。これこそが、愛であり、新しい道へ導く灯火だったと思う。  ペンネーム:みかこ
□人間としてのアイデンティティを忘れ去った男。赤ん坊との出会いからすべてが動き出す。生きること、明日への欲求。暴力的な生き方の中に、本当は愛してほしかった、という気持ちが隠れているように思った。自分への、他者への生の欲求に目覚める展開に息苦しくなりました。  篠原利香 21歳 女性
□読んでいるあいだずっと喉が渇いていた。ざらざらとした空気。太陽の熱。明日への希望も選択肢もない。明日の朝、太陽が昇ったときに息をしていると安心する。だけれど、生きていることになんの意味があるのか。(中略)太陽の熱に乾かされた者だけが描ける世界。私たちは想像をして物語のなかに希望と喜びを見いだすしか術はないが、金原瑞人の距離を保った文体と生き生きとした会話が物語の持つ強さとたくましさを私たちに示してくれる。次から次へと感情の波がおしよせてくる。時に静かに切なく。登場人物すべてに物語があり、たくさんの小さなかけらが大きなうねりとなって、読み手をゆさぶりラストまで運んでいく。生と死、黒人と白人、貧しさと豊かさ、夜と朝、極端なところで物語は進行していく。読み進めるのに少々ためらうが、抗えない。コンデンスミルクに突き進むアリの本能のように読み手を前に進ませる吸引力のある物語である。  ペンネーム:くろねこ 29歳  女性
□この本が1960年代に書かれたものとは思えない感じで、世界のどこでも、あるいは日本を舞台につむがれたとしても違和感はないと思います。足のない物乞いをつけているシーン、物乞い側の視点も面白く、ツォツィの視点からの心の変化の描写も的確で、目の前に映像が浮かんできました。この物語の映像になった姿を必ず見に行きたいと思います。 
                             ペンネーム:公 30歳 女性
□過去を捨てた主人公が自分を取り戻して行くさまがもどかしかった。冷酷な主人公と対照的な赤ん坊の存在が印象的。ラストは全体に流れている気だるい雰囲気にマッチしていたと思う。訳が読みやすかったので一気に読みました。 ペンネーム yumin
□生きることの気だるさと尊厳。日常生活の中で忘れかけていた「生きる」とは何かという根本の問題を私たち日本人につきつけてくれました。今生きていることの実感が希薄になりつつある現代日本において、この小説の設定場面は、ひとつ間違えば、陥るかもしれない日本の未来を象徴しているかのようである。ツォツィと赤ん坊の運命的な出会い、大胆で意外な設定ではあるが、小説としてのプロットは完璧である。私は一年間仕事を休み、ようやく立ち上がったばかりの子どもの子育てをしたが、子どもの一日一日の成長、私に対する絶大な信頼感、「生きぬく」ことへの一途な行動、それらすべてが私たち大人に「未来」を築いていくことの大きな使命を痛感させてくれた。人権を冒涜しつづける発言をする日本の政治家たちに読ませたい一書である。本当にありがとうございました。この本との出会いで、私の一生がまたかわるかも知れません。感謝致します。  冨山敦史 41歳 男性
□このジャンルにしては読みにくい本でした。「進めばわかる」といったストーリーに慣れていないもので。また、これは人によるのかもしれませんが、あのサンプル版のフォントはとっかかりにくい、という印象を受けました。そういうものなのでしょうか。ただ、人種差別をテーマにした作品は読んだことがあっても、単に「治安が悪い」と言われ、(少なくとも日本には)ニュースが入って来ない南アフリカが舞台になっている作品は、あまり読まないもので、新鮮でした。ところどころに出てくる人種隔離政策の影響が、「白人も住んでいる」ということをそれとなく示しており、作中に人物としては登場しない白人がこの舞台を作っているのかと思うと、複雑な気分でした。が、その中で「生きている」人々(白人でない人)ができること、できないこと、思うこと、考えられないこと、が理解できないながらもこんなものなのかな、と思いました。  ペンネーム:周期111  14歳 男性
□ツォツィが「いつそんな選択をしたんだ?」という疑問にぶち抜かれる部分がとても印象深かったです。ツォツィのように自分のことや人のこと、自分を取り巻くさまざまなことに目を向けて考えることをやめ、自動的に展開が決まるものだと錯覚してしまうことは、すごく怖いことだと思いました。ツォツィが赤ん坊に出会ってからの変化は、彼がさまざまなことをぎこちなくではあるけれど、考え始めるようになったことだと思います。そのきっかけとなる赤ん坊がとても大きな力を持っていると感じました。 ペンネーム:まちこ
□生きていくことの普遍さを再確認。トルストイを思い出しました。  ペンネーム:うす